大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和50年(オ)1148号 判決

上告人

宮本太吉

外三名

右四名訴訟代理人

西本剛

外一名

被上告人

渋谷義夫

右訴訟代理人

福岡彰郎

外三名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人西本剛、同大蔵永康の上告理由第一点について

上告人宮本が本件各土地の自主占有を開始した時期は、同上告人が国から本件各土地の売渡を受けその売渡通知書が交付された昭和二六年七月一日であるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点について

他人の物の売買における買主は、その所有権を移転すべき売主の債務の履行不能による損害賠償債権をもつて、所有者の目的物返還請求に対し、留置権を主張することは許されないものと解するのが相当である。蓋し、他人の物の売主は、その所有権移転債務が履行不能となつても、目的物の返還を買主に請求しうる関係になく、したがつて、買主が目的物の返還を拒絶することによつて損害賠償債務の履行を間接に強制するという関係は生じないため、右損害賠償債権について目的物の留置権を成立させるために必要な物と債権との牽連関係が当事者間に存在するとはいえないからである。原審の判断は、その結論において正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第三点について

国が自作農創設特別措置法に基づき、農地として買収したうえ売り渡した土地を、被売渡人から買い受けその引渡を受けた者が、土地の被買収者から右買収・売渡処分の無効を主張され所有権に基づく土地返還訴訟を提起されたのち、右土地につき有益費を支出したとしても、その後右買収・売渡処分が買収計画取消判決の確定により当初に遡つて無効とされ、かつ、買主が有益費を支出した当時右買収・売渡処分の無効に帰するかもしれないことを疑わなかつたことに過失がある場合には、買主は、民法二九五条二項の類推適用により、右有益費償還請求権に基づき土地の留置権を主張することはできないと解するのが相当である。

原審の適法に確定したところによれば、(一)本件土地は、被上告人の所有地であつたが、昭和二三年四月二八日、大阪市城東区農地委員会は、右土地が自作農創設特別措置法三条一項一号に該当する農地であるとして買収時期を同年七月二日とする買収計画を樹立し、公告、縦覧の手続を経たうえ、国がこれを被上告人から買収し、同農地委員会の樹立した売渡計画に従つて、昭和二六年七月一日上告人宮本に対し、本件土地を売り渡したこと、(二)右買収計画は、本件土地が自作農創設特別措置法五条五号に該当する買収除外地であるにもかかわらず、これを看過した点において違法なものであつたので、被上告人は、昭和二三年七月右買収計画取消訴訟を提起し、被上告人の請求は、一審で棄却されたが、二審で認容され、その買収計画取消判決は、昭和四〇年一一月五日上告棄却判決により確定したこと、(三)上告人金谷は、昭和三四年一一月一九日上告人宮本から本件土地を買い受けてその引渡をも受けたが、昭和三五年一〇月被上告人から買収及び売渡は無効であるとして所有権に基づく本件明渡請求訴訟を提起され、その訴状は同月二五日上告人金谷に送還されたこと、(四)上告人金谷は、右明渡訴訟提起後の昭和三六、七年ころ、本件土地の地盛工事に一七万円、下水工事に七万円、水道引込工事に六万円の有益費を支出したこと、がそれぞれ認められるというのである。

土地占有者が所有者から所有権に基づく土地返還請求訴訟を提起され、結局その占有権原を立証できなかつたときは、特段の事情のない限り、土地占有が権原に基づかないこと又は権原に基づかないものに帰することを疑わなかつたことについては過失があると推認するのが相当であるところ、原審の確定した事実関係のもとにおいて、右特段の事情があるとは未だ認められない。したがつて、右事実関係のもとにおいて、上告人金谷が、所論の有益費を支出した当時、本件土地の占有が権原に基づかないものに帰することを疑わなかつたことについては、同上告人に過失があるとした原審の認定判断は、正当として是認することができる。そうすると、右のような状況のもとで上告人金谷が本件土地につき支出した所論の有益費償還請求権に基づき、本件土地について留置権を主張することが許されないことは、前判示に照らし、明らかであり、これと結論を同じくする原審の判断は正当である。その過程に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(岸上康夫 下田武三 岸盛一)

上告代理人西本剛、同大蔵永康の上告理由

原判決の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

第一点 上告人らは原審に於て、所有権の時効取得を主張し、原判決事実摘示の(原判決一五枚目表)丙事件の被告らの主張の三項のとおり丙事件の上告人らが争つている土地、大阪市城東区天王田町三丁目二九番の一、田一反四畝六歩について、自創法第三条によつて国が、被上告人から昭和二三年七月二日、買収し、これを上告人宮本太吉に対し売渡処分をなし、昭和二六年七月一日付を以て売渡通知書を交付したのであるが、取得時効の起算日は、同人が地元農地委員会に於て売渡処分がなされることを確知した昭和二四年四月であり、遅くとも同年五月一日である旨を主張したのに対して原判決はその理由中で(原判決三〇枚表(二))「被告宮本が丙事件関係の土地(第一審判決添付土地目録(三)の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)、(四)の各土地)の自主占有を始めた時期についてみるに、同被告が右各土地の売渡通知書の交付を受けた日が昭和二六年七月一日であるから右の日を以て自主占有の開始の日と目すべきである。」とし、「被告宮本が前記土地を自己のものとして占有を始めたのは、甲事件関係の土地(第一審判決添付土地目録(一)の(イ)(ロ)、(二)、(五)、(六)、(七)の各土地)に関し売渡通知書の交付された昭和二四年四月三日、おそくとも同年五月一日である旨主張し、その事情として同被告は甲事件関係土地(時効完成)と同時に前記各土地の売渡申請をしたが、農地委員会の手続の遅れによつて自己申請分だけ同時に通知書の交付を受けることができなかつたが当時同農地委員会に問い質したところ、遅れるが必らず売渡されると確約されたから、その日から所有の意思を有するに至つたと主張し」、「当審に於ける被告宮本太吉本人尋問の結果中には右主張にそう供述も存するが、右供述自体約二五年前の記憶を述べたものであり他に裏付けとなる確証もないからにわかに措信できない」とし、「かりに右のような経緯があつたとしても、占有者の占有意思態様は占有者の単なる内心的主観的意向によつて決すべきものではないことは既に説示したとおりであるから」として原判決二七枚裏に於て「取得時効の要件たる所有の意思は、単に内心の意思では足らず、客観的に権原によつて認めうるものでなければならない」旨を判示している。

しかしながら、民法第一八六条第一項は「占有者ハ所有ノ意思ヲ以テ善意、平隠且公然ニ占有ヲ為スモノト推定ス」と規定し、過失の有無を留保して、占有を瑕疵なき自主占有と推定することを規定しているのであつて、他人の所有に属することを知つていることだけでは所有の意思の推定を覆す反証とはなりえない(大判昭和三・四・九大審院裁判例二輯民法一)のであつて、占有の事実についてその占有は自主占有であることが推定されるのである。

しかし原判決は前記のとおり「当審における被告宮本太吉本人尋問の結果中には右主張ににそう供述もあるが右供述自体二五年前の記憶を述べたものであり、他に裏付けとなる確証もない」として自主占有の開始日は昭和二四年四月、おそくとも同年五月一日からであるとする上告人の主張を排斥したのである。

右判断は前記の占有事実に対する自主占有の推定規定の適用を誤り立証責任の分配を誤つて、上告人の不利益に判断しているもので採証法則に違背しており右違背は判決に重大な影響を及ぼすものである。

又、原判決は前記のとおり自主占有については客観的に権原によつて認めうるものでなければならないとし、上告人宮本太吉が農地委員会に赴いて、他と同じく売渡処分がなされることを確知したときから自主占有に変えたとの主張を排斥したが民法第一八五条後段により「新権原ニ因リ更ニ所有ノ意思ヲ以テ占有ヲ始ムルニ非レバ占有ハ其性質ヲ変セズ」とあり、占有物について物権を取得するために有効な取引行為をおこなつた場合と解せられているけれども本件の如く、既に本件係争土地は被上告人より国が昭和二三年七月二日に買収処分により国の所有になつている場合にその国の売渡機関となつている地元農地委員会より甲事件関係者である亡福田寅治、亡竹内友次郎、阪野種吉、上田三五郎らと同時に売渡処分をなすべきところ手続が遅れているだけで必らず近くその売渡をする旨を確知した場合も当然含まれなければならない。何となれば本件買収処分は後日取消されたけれども、当時は国が、被上告人より自創法所定の手続を経て買収し、国の所有となつていたものであり被上告人の所有ではなく、被上告人に対し占有について所有の意思あることを表示する手段方法もないのみならず、その所有者である国の売渡処分機関である地元農地委員会より売渡処分を確知した日を以て新権原により爾来所有の意思に変更したとして何らの不都合はない。

殊に甲事件関係者らと共に同時に地元農地委員会に買受申込をなしみぎ買受申込に従つて買収計画、売渡計画が樹立され、買収処分がなされ、その売渡処分は前記甲事件関係者に対して昭和二四年四月三日になされているのであるから、同じ状況下にある上告人宮本がその売渡処分の有無を地元農地委員会に問合せて之が確実になされることの回答を得たのであるから売渡行為があつたと同様の効果を事実上有すべきもので、前記法条に謂う「新権原ニ因」るものとして上告人宮本が以来自己のものとして占有して当然である。

即ち前記の事実からすれば上告人宮本の自主占有の変更は単に内心的、主観的意向によるものでなく新権原によるものと解すべきであるのに原判決はみぎ事実があるとしても之に当らないとして排斥したのは法令に違背し破棄を免れない。

第二点 上告人宮本を除く上告人吉田、同村井、同金谷らは原審に於て留置権を主張し(原判決一七枚目裏)本件係争土地の一部を上告人宮本より買受けたのであるが、本件土地が被上告人の所有であるとするならば、上告人宮本は他人の物を売買したことになり、売主としての義務は履行不能となり、上告人宮本に対し他の上告人らは損害賠償債権として買受土地の時価相当金額の債権を有するのであるが、これはいずれも同上告人らの占有土地に関して生じた債権であつて弁済をうける迄これを留置すると主張したのに対して、「その賠償債権と各土地との間に牽連関係があるということはできない」と判示し最高昭和三四年九月三日民集一三巻一一号一、三五七頁を援用した。

しかしながらこのような売買の結果、物の引渡を受けたが所有権を取得しえず、履行不能に基く損害賠償請求権が発生したような場合一個の法律行為が、一方では物の返還請求権と他方では損害賠償請求権を発生せしめるのであるから、同一の法律関係より生じたものとして牽連関係を認めるべきものであつて(柚木教授民商四二巻三号三四五、柚木・高木共著有斐閣担保物権法二〇頁以下)その債権の発生原因の種類を問わず留置権は発生すると解すべきであつて、前記判例及び最判昭和四三・一一・二一民集二二・一二・二七六五は変更されるべきものと信ずる。これを牽連関係なしとした原判決の判断は法令の解釈に誤りがある。

第三点 上告人金谷に原審に於て本件土地のうち同人占有土地部分について昭和三六・七年ごろ土地改良の為の有益費を出捐し地盛工事、下水工事、水道引込工事をなし原判決事実摘示一八枚目のとおり地盛工事に金一七万円、下水工事に金六万円、水道引込工事に金六万円を投じ、現在では右出捐額は金四七九万円に評価されるべきもので、みぎ償還を得る迄上告人金谷はその占有土地を留置すると主張したに対して原判決は「原告が同被告に対しその占有土地の回復を求めて本訴を提起し(昭和三五年一〇月一三日)た後である昭和三六・七年ごろに出費し、改良した有益費であつて、民法第二九五条が留置権を定めた所以である公平の理念に照らすと、同法第二項が占有が不法行為によつて始まつた場合にはその占有者に留置権を認めないとした趣旨はその占有が権原なき不法占有であつて、かつ、占有者がそのことを知り、または知りうべかりし時点において該占有物につき発生した債権についても留置権を認めない趣旨であると解するのが相当で本件の場合、前記事実関係に照らすと被告金谷は右出捐をしたときには少なくとも自己の土地占有が原告との関係で権原なきものと知りうべかりしものというべきであると判示して(原判決三二枚裏から三三枚)右主張を排斥した。

民法第二九五条第二項は「占有カ不法行為ニ因リテ始マリタル場合ハ之ヲ適用セズ」とあり、留置権発生のためには、占有が不法行為によつて始まつたものではないことを要するのであるが、これは不法行為によつて占有を取得した者にまで留置権を認めるべきでないというにあつて占有取得維持行為自体が不法行為である場合をいうのであつて「占有が不法行為に因りて始まつたのではない場合といえども占有すべき権利がないことを知りながら他人の物を占有する者」も留置権を排除されるのであるけれども(最判四一・三・三民集二〇巻三号三八六頁、昭和四六・七・一六判例時報六四一号五六頁)過失によつて知らない無権限占有者はこれに含まれない。原審引用の東京高裁昭和三〇年三月一一日判決高民集八・二・一五五頁は過失によつて無権限を知らずして占有を始めた場合をも包含するものと解するのが相当としているが、明らかに不当な拡張であつて許されないものと信ずる。即ちドイツ民法二七三条二項但書は故意でなした不法行為により目的物を取得した場合にのみ留置権を排除しているのであり、わが民法はこの沿革をうけて占有取得行為が不法行為である場合にのみ当然に留置権を拒否することとし、悪意占有者は裁判所の期限許与をまつて始めて留置権を失うにすぎないとしているのである(民法一九六条二項但書)から過失に基づく無権限占有者には何らその留置権を妨げられないとするのが民法の趣旨であり、このように占有瑕疵に段階を設けてこそ債権者債務者間の保護の調節が期せられるのであり、盗人、悪意占有者と過失ある善意占有者とは別箇に考察すべきものなのである。(福岡高決昭和二九・五・二五高民集七・五・四一七は事案を異にするが、参照すべきものである)(註釈民法(8)三四頁柚木、高木共著法律学全集担保物権法二六頁以下)

上告人金谷は昭和三四月一一月一九日付を以て本件土地について上告人宮本より所有権移転登記を経由し、その引渡をうけて占有しているものであり昭和三五年一〇月一三日に本訴が提起されたのであるが、被上告人の提起していた買収処分取消の行政訴訟は、第一審敗訴し第二審に於て勝訴し最高裁に於て昭和四〇年一一月五日に至つて確定したのであつて(第一審判決参照)上告人金谷は右事件の経緯については全く関知していないが、本訴提起当時は国が勝訴していて被上告人が控訴中であり、本件土地の占有が無権限か否かについて、上告人金谷は判断のしようがないのである。

即ち上告人金谷は無過失による善意占有者であり、そして昭和三九年に至つて取消の請求が高裁に於て認容されたのであり、その間になした有益費用の出捐に関しては民法第二九五条二項の適用外であつて本訴の提起があることのみを以て過失ある占有と断ずることもできないし、前記のような事情即ち上告人宮本より所有権の移転を適法にうけ昭和三九年に至るまでは被上告人の買収処分取消の訴は敗訴していたのであり、無過失による善意占有者か然らずとするも過失ある善意占有者であるから有益費について留置権を行使することは当然であつてこれを認容しなかつた原判決は前記民法第二九五条第二項の解釈を誤まつており破棄されるべきものである。

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